草もち姫の城

自己紹介

名前 :草もち姫 「草もちが好きなの?」とよく聞かれます。確かに好きですが この由来は大学時代。当時「テニスが恋人!」とか 燃えていた姫は夏は陽焼けで真っ黒。4年生の夏で引退し「さてお化粧でも」としたのはいいが、ゼミの悪友H氏に「草もちの粉をパッパッと掃ったような」といわれて まぁ開き直ってそれからこう名乗っています。

旧家族:両親(父昭和63(1988)年、母平成19(2007)年他界)と5歳年上の兄(1歳半で小児がんで他界)、弟(1958年生まれ家族子供2人と浜松市在住)。

現家族:夫:ヨモギ源氏(1954年生)・長男:餅之介兄さん(1982年生)・長女:あんころ姉さん(1984年生)・次男:ヨモギライダー(1985年生)・次女:ヨモちゃんh(1989年生)・ペット:にょろ(2006年生♂ロングコートチワワ)

血液型: O型 星座: おうし座= どちらも「まんまだね」とよく言われる。 ついでに体格も「大型・牡牛並」。乙女の頃は信じていたけど、熟女は(^^ゞ占いなど当てにしない。

好きです歌舞伎: 片岡仁左衛門・中村七之助・中村福助さんのファン。マニラから帰国後10年くらいは毎月昼・夜の全公演を見るべく安くていい席のチケット獲得にいそしみました 音楽: RAGFAIR( アカペラコーラスグループ) 個性豊かなメンバー何といってもハーモニーが最高。 現在は活動中止で残念。 B'z 1998年に帰国するまで知らなかったけど、ある日であったとたん雷に打たれた。こんなに素敵な2人が好き 。テレビドラマ:「NCIS」「NCIS・LA」「ホワイトカラー」「ボストンリーガル」などにはまっております  映画: ヒューグラント・ケビンコスナー・サンドラブロック・グィネスパルトロー・トムハンクス・マットデイモン・レオナルドディカプリオ  舞台: 風間杜夫さんが好き・落語も好きなので、最近は宝塚も  パソコン: お金がかからなくて情報ももらえてメールで交友が暖められて しかも生産的で便利です 食べ物: アイス(ソフト)クリーム 何が無くてもこれさえあれば幸せです

生まれ:1955年5月6日 静岡県天竜市二俣町(現在浜松市天竜区二俣町)天竜が市になったのは人口が一瞬3万人を超えた時だったとか今は1万人ぐらい。自然に恵まれたいいところです。 近くには徳川家康の悲劇の長男「信康公」を祭ったお寺。なんでも3代前の祖先は「烏帽子蓮台」という女流宗匠だったらしいです。「屠蘇くむや老いも九十の舞扇」という句碑が近所の浅間神社に残っています。

栄林寺保育園:(石倉先生)◎家が商売をしていたので保育園に行きました。 弟や向かいの竜ちゃんと二俣川の川原で遊びながら通園。 石倉先生という優しい先生が大好きでした。

天竜市立二俣幼稚:(赤組(大田先生)◎大田絹子先生が大好き。近所の仲良し傘屋の健ちゃんと通う。 クリスマスに自転車をもらい健ちゃんに乗り方を教わった。 健ちゃんの家は毎週日曜の夕ご飯がカレーで羨ましかった。

天竜市立二俣小学校:1年4組(笹竹先生)・2年3組(氏原先生)・3年4年3組(松尾先生)・5年6年4組(鈴木先生)

◎ 「なかのやすたか」くんが初恋の人です(*^。^*) 氏原先生のお宅にはなぜかお泊りに行って先生のお嬢さん方と仲良しだった。 家から10分ダッシュで3分の小学校。諏訪神社→清流寺経由で30分。 「おはなはん」を見たくて毎日28分ぐらいまでテレビの前にいて猛ダッシュしたことも。水泳ガ好きで休憩時間にも楪加代子ちゃんと「ゴリラ先生」の立っている真下の壁に張り付いて水の中にいた。

天竜市立二俣中学校:1年A組(小池先生)・2年c組(鈴木先生)・3年B組(沢木先生)クラブ活動:文芸部

◎二俣中学 「文芸部」にいて反戦の詩や童話などを書いたり新聞を作ったりまったく運動をしなくてGSに夢中。タイガースのポスターをもらうためにチョコレートを食べまくり、みるみるまに横綱に(^^ゞ 1000mの持久走が男子の1500mよりはるかに遅かった。
階段がいやで「奧山半僧坊」の遠足は仮病で休みました。 中学1年の数学でマイナス(-)が出てきたら突然数学が 理解不能になったのを鮮明に覚えています 。3年には生徒会活動をしていました。

静岡県立二俣高等学校:17HR(袴田先生)・23・33HR(鈴木先生)クラブ活動:軟式庭球部

◎デブを何とかしなきゃと「軟式テニス部」に入部。最初のテニスコート2面2週のランニングが苦痛でやめようかと思ったが何とか 夏休みまでしがみついて10キロ減量。これに気をよくして テニス大好きに。春休みから日焼けで皮がむける有様。 相変わらず理数系は悲惨な情況だが3年の物理の赤点クラスも楽しかったし、数学の担任が「センスがない人はやっても無駄。内申点「3」あげるからその時間を他の教科に費やせ」 とありがたいアドバイスで、何とか無事卒業 。

札幌大学:外国語学部ロシヤ語学科・貝沼ゼミ・体育会硬式庭球部・半年だけロシヤ語研究会

◎硬式テニス入部。軟式でやっていたので始めはボールがひどくゆっくり見えたし、ダブルスは経験があったので凄く楽しく のめりこむ。しかしテニスの醍醐味はシングルス。 ロシア語よりも熱心に取り組み団体戦で「学生王座」煮北海道代表で出場。個人戦はダブルスは優勝2回・シングルスは準優勝ながら4年制大学では優勝だったのでインカレに出場。数少ない誇れる経歴です 。ロシヤ語のゼミはドストエフスキー。、卒論は何とか「カラマゾフの兄弟」のごく一部に注目した論文で通過(^^ゞ外国語を学んで日本語の不足を知るって、、結論?

23歳 :大倉建設株式会社 大阪の建設会社のレジャー事業部入社。 営業職が面白く頑張りすぎてダウン。


24歳: 株式会社三共 東京・両国の包装資材会社常務と専務の間でもっぱら雑用。 隣は出羽の海部屋・裏は井筒部屋という恵まれた?環境 (笑)1年で結婚退社。


25歳 結婚 1980/02/02。 新婚旅行は「絶対二度と行きそうもない」という理由で フィリピンへ、、しかしまさか13年後に一家で住むとは 、、、
弘明寺 :結婚してすぐ住んだ町。冬の寒い日には富士山が見える。 急坂の途中で、この坂でタクシーが5人乗せて上れるかテストするのだと聞いてから「次は絶対平地に住む」と決意。 弘明寺商店街の肉屋・豆腐やさんは最高でした。 ゆずの岩沢さんの実家は散歩コースにあった。NHKアナウンサだった鈴木文弥さんもお散歩中挨拶すると「おはようございます!」とあの声で返事をしてくださった。


27歳: 星川 初めて新築マンションを購入した。駅から平地を徒歩5分。 すぐそばが相鉄線の踏み切りだが我が家のほうがもっとうるさい。同じ年代の子持ちの家族と毎日子育てに明け暮れる。子育てはマンションがお勧め。今でも付き合いがある。


35歳: 空白の宇都宮 転勤になったのでマンションを売って追っかけようとしたがその前にまた転勤。下見に一度だけ行きました


36歳: 博多 初めての転勤。武田鉄矢の実家の最寄り駅の「雑餉隈(ざっしょのくま)」近くの春町に住む。たった1年11ヶ月しかいなかったのにものすごく楽しくて思い出が一杯。博多の人はとても優しい。 白身の魚も明太子も美味しい。Royalのスイートポテトもいい。 沖縄・鹿児島・大分は回ったけど他は行く時間がなかったのが残念。北九州すペースワールド・ハーモニーランドは楽しかった。もう一回住んでみたいと思う街です。


38歳マニラ・ マガリアネスの頃:

まさか!絶対2度とは行かないからという理由で新婚旅行に来たマニラに主人が転勤することになった。小5.3.2.年と3歳の子連れでの赴任でまぁ大騒ぎ。「面白そう」という理由でインターナショナルスクールに通うことになった子供たちと野球チームに入ったり、サッカーチームに通ったりガールスカウトや学校の行事を通じてたくさん友達もできたし、日本にいてはできなかっただろう思い出が一杯でこのスペースには書ききれない。家にはプールがあった。

○マガリアネスというのは最初にすんでいた住宅地の名前ここでの一番の思い出は「洪水」。家の中1mの高さまでで水が来てびっくり。でももっとびっくりは洪水の中を泳いでいる現地人を2階のベランダからキャーキャーと応援するメイドさんたち。不思議の国フィリピンに住んだことでちょっとだけ物の見方も変わりました 。


40歳マニラ ・ベルエアーの頃 

○不思議の国フィリピンには何でもある。 たとえば教職も何も持っていない私がインターナショナルスクールの日本語の講師になって教えちゃう。 運転免許を持っていない青年が「ドライバーとして雇ってくれ」とギターを持って面接に来る。本業はギタリストらしい。ギターは上手かったが、ためしに運転させたら「やはりやばかった」 コップを割ってしまったメイドさんが「だって、水道の蛇口が勝手にぶつかってきた」という。


○ひどい交通渋滞に政府がある日突然「ナンバーの下一桁が偶数の車は月・水・金、奇数の車は火・木・土だけ通っていいとこにする。」とか言い出す。ADB(アジア開発銀行)と大使館関係の車はもちろん適応外。お金持ちは大丈夫!すぐに偶数と奇数の車を買うまたはすでに持っている。貧乏人は車が無いから関係ない。中流はすぐに偶数と奇数の車のナンバープレートだけを買う。


○日本人のボランティアスタッフはこつこつお金を集めて、火山の噴火でひどい暮らしをしている村に車に山のような物資を積んで運んでいくが、中国系のお金もちは自家用のヘリコプターでひとっ飛び現金を運んでいく途中に息子がサッカーをしているグランドにちょっとよっていく。


○その中国系の御子息は誘拐されると困るので平日は学校と道ひとつ隔てた借家にすんでいるが登校の際ガードマンに囲まれて横断歩道を渡って通学だ。

○みんな敬虔なカトリック信者。昨日雇い主のテレビを盗んでも教会に行って「罪深い私をお許し下さい」と懺悔すればOKラン!


43歳 : 1998年3月に一家で帰国して町田に住む。 長男:高校1年・長女中学2年・次男中学1年・末っ子小学3年 というラインナップでスタートの生活はなかなか面白い。 が、引越し荷物の整理のためか40肩に襲われて痛いのなんのって。日ごろからいい加減な家事にますます不具合が生じるも、はたと思い立った「住宅ゲッ」トという目的のためにまい進。

2000年3月:南つくし野2丁目「すずかけ台駅」から徒歩4分のところに小さな家を新築。35年ローンレンジャーになりました。


45歳: 就職 45歳までに何とか仕事につきたかった。準備運動に、町田の日本語ボランティアなどをしていたが、やっと新横浜の「フジビューホテル」で結婚式の介添えさんとして面接にこぎつけた。これは月に1-2回とのことだったがよほど人がいなかったのか、経歴書の「珠算1級」というのに目が留まった部長から「総務部経理課」にと勧められた。「お金の計算は一番苦手(^^ゞトーンでもないです」とお断りすると「いや雑用みたいな」ということで快諾。 経理・総務・人事・果ては不動産・時にはユニフォームのすそ上げ、ルームさんのフィリピン人の通訳、、、なんでもありの勤務。 介添えさんとしてもたくさんの結婚式に参加できて楽しかった!

46歳: この辺りから5年連続複数受験生を抱えた生活だったが、仕事があってよかった(^^ゞかもしれない。月25日の仕事も家族の協力で何とか続けられておりました。


47歳: 函館札幌旅行をして旧友と再会。しかし、また来た2度目の40肩(-"-)今度はいよいよ50肩だ。おまけに「頚椎の神経痛」というのもダブルで襲来。月25日の契約社員はちょっとしんどいので退職。うーん残念! ちょうど田舎の母がいよいよ50年間続けてきた家業を畳むことになり、田舎との往復の末、近くにタウンハウスを借りて娘と住んでもらうことになり、元気なうちは一緒に旅行に行ったり、相撲や歌舞伎を見たり、最後の方は施設探しや、病院のあれこれに奔走したが、やっと少しだけ御恩返しができた気がしていた。


48歳 :雇用保険に入っていたので失業手当をもらうべくハローワークに行って求業の振りをしていたら、なんだかご縁があったようで「市民パソコン講座かけこみでら」というところに就職。 ここの教室はパソコンにすばらしいレッスンが入っているので私の仕事はセッティングや雑用。インストラクターとはいえ生徒さんには直接は教えませんが、困ったときだけ呼ばれるので結構鍛えられました。

近くの「カルフール」でオードリーヘップバーンのついたクレジットカードを作ったのが自動エントリーだったというローマ旅行が当たり、次女とイタリア旅行。これも自分のWEB−SITEを作りたいモチベーションになりました。思ってもみなかったことですがパソコンが好きなようで、いくらやっても飽きないどころか「いい加減にしろ」と家族から顰蹙ものです。DVDやCDも作りました。おせっかいに作家になっている幼馴染や、パスタ専門店の同級生のHPまで立ち上げました。

49歳:またまたお友達がいるという理由で、台湾に3日ほど行きました。マニラで一緒だった方にも再会!

50歳:またまたカルフールのキャンペーンで韓国旅行をゲット!娘2人と行ってみました。

51歳:パソコン教室が閉鎖に伴い、近くだからと応募した「東京工業大学大学院知能システム学科」の「三宅研究室」に雇っていただいた。超がつく「非理科系人間」だが、パソコンが触れるとこういうこともある。研究はさっぱり分らないけど、学生さんに食料を差し入れたり、留学生のお世話をしたり、WEBサイトを管理したり、そのうちに何だかわからないけど、NPO法人の仕事をしたり、楽しく働いていました。

友達がオーストラリアに1年いるということがなぜか私がスキューバーダイビングの免許を取ることにつながって(笑)本当にゴールドコースト・ケアンズでダイビングをしていました。さらに年末にはサイパンでもダイビング!怖いものなしでございます。

52歳:母が85歳で理想通りにあっという間に天国に旅立ちました。JR東日本の「大人の休日倶楽部」で東北の旅を開始。

53歳:5月6年ぶりに「メタボ宣告」覚悟で人間ドッグを受けたところ「胃がん」が発覚、急きょ全摘出手術になりました。7月9日運よく東大病院で名医に執刀していただけたので、ステージ1と2のボーダーだったが、リンパや他に転移もない状態で生き延びることになりました。内臓脂肪が多い人に多い合併症も発症、北京オリンピックの熱い夏、不忍池や上野のお山の見える本郷の別荘で涼しく過ごしました。2ヵ月半で管をつけたまま退院。やはり入院は疲れます。

54歳:ひょっとしたら死んでいたかもしれない(^^ゞという思いは「やりたいことをすぐやる!」という形になり、とりあえず娘たちとフランス・ベルギー旅行敢行。パリの街を自転車で、ベルギーのハイウェイをBMWで爆走しました。

55歳:テニスのづグランドスラム、NY・ワシントンDC・ボストンに行くべく2週間の米国旅行。貴重な思い出です。もう社会復帰は無いものと思っていたのですが、11月から大学時代の先輩の口利きでこれまた超理系の「横浜国大工学研究院の研究室で働かせていただくことに、演習書の編集のお手伝いで短期のはずだったのですが、、現在も在職中(^^ゞ

56歳:1月から東北旅行、りんごの木のオーナーになったりもしました。3月の東日本大震災で予定していたベトナム旅行を中止。生きていることに感謝しながら、何となく元気なく生活した一年でした。

57歳:仕事はあれこれ繋がってランドマークの見えるオフィスで神奈川県の仕事まですることに。3月北海道・4月富士霊園・6月岩手・ 8月デンマーク・大阪11月富岡製糸場跡と遊び放題。6月スカイツリー開業の頃、大阪時代の旧友と再会。宝塚ファンの彼女と時々東京公演に行きます。

58歳:1月魚津・輪島蔵王・大内宿・2月娘たちとライトアップの白川郷・ 3月青春18切符でいすみ鉄道・お友達を訪ねて姫路→赤穂→津山→倉敷→讃岐ツアー。津山の有名人B'z之稲葉さんの実家の「イナバ化粧品店」に行き母上と2ショット!写真いただきました・6月テニス部女子会ツアー安曇野→奥飛騨→古川→高山→雪の立山ウォーク敢行・同じく6月末佐保姫と九州長崎→熊本→高千穂→宮崎堪能・娘たちと遷宮の年の神無月出雲ツアー鳥取→境港→出雲→山口→広島ドライブ。テニス部のOB会や家族でテニスを有明ですることに(*^。^*)有明のテニスの試合やイベントもちょいちょい見に行きます。

6月からBS-TBSの「謎とき江戸のススメ」の番組のスマホアプリにはまり、歌川広重の「江戸百景」の119か所をめぐるイベントにはまってしまい、半年で95/119ゲット。多い日にはなんと31000歩も歩く酔狂(^^ゞ怖いのは達成した後の「広重ロス?」

This template made by
素材屋HP素材のおすそわけ。